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JAZZと私 第三話

あの頃の日本のJAZZ界では、ギターリストは澤田俊吾さん杉本清さん増尾好秋さんなどが有名で第一線で活躍していました。
私は早く仲間入りをしたくて毎日必死でした。
そんなところに中川淳さんという当時日本のジャズトロンボーンではベスト3に入る方から声がかかり私は嬉しくて直ぐに中川さんのバンドに入ったのです。また中川さんのお兄さんの中川武さんもまた有名なクラリネット奏者で一緒に活動をしていましたので私は本当に嬉しくてたまりませんでした。
そして私はこのお二人に音楽のみならず人生の大切な生き方を多く学んだのです。
当時はキャバレーやナイトクラブが全盛の頃でミュージシャンは生活の為に専属バンドとして出演しているのがほとんどでした。
またカラオケが未だ無かった時代なので必ずそういう飲み屋さんにはバンドや弾き語りが入っていましたのでバンドマンもピンからキリまで本当にたくさんいた時代です。
私は、中川さんの教えを忠実に守りJAZZにひたむきに取り組みました。
時にはミスをするとステージ上でいきなり蹴飛ばされることも有りました。
音楽は「音を楽しむ」と書きますが、あの頃は楽しんでいる余裕など無く、緊張のあまりかえって腕や指先が固まってしまうという状況にてのハラハラのステージでした。
でもたまにいいプレイをすると誉められ、そのときの気分は最高だったものです。
私は良い指導者のもとでメキメキと腕を上げていきました。

# by nanbunaoto | 2007-07-05 12:52 | Comments(0)

JAZZと私 第二話

そして私は親の猛反対を押し切り、茶木(楽器メーカー)のギターを一本抱え単身で東京に向かったのです。 この頃は五木寛之さんの書いた「青年は荒野をめざす」を読んで主人公のジュン少年になりきっていたのでした。
親も心配し、とりあえず私を尚美音楽学院に入学させることで少しは安心したようですが。
上京後は毎日音楽学校に通いながらあるバイトをしピアノを購入、三畳間の福井荘に無理やり押し込みピアノの下で毎晩寝ていました。
母は心配をし福井から私の様子を見に何度も来てくれましたが・・・、本当に今考えてみるとあの頃は何も恐いものが無かったのですねー! 若さって素晴らしい!
私は無我夢中でJAZZギターを練習しました。一日8時間以上はギターを弾いていました。
そして途中からANジャズスクールに通うようになりポンちゃんこと鈴木氏に本格的なジャズギターを教わるようになったのです。鈴木先生のギターは本当に素晴らしくあの世界的に有名なジムホールも絶賛するほどのギターリストであり私は大きな影響を受けました。
19歳の頃テナーサックスの植松孝夫氏とも共演をしました。
そしてある時横浜のバンドホテルにある「シェルルーム」と言う当時横浜では有名なナイトクラブにトラ(代役)で出演することになったのです。
そしてプロのステージに立ち最初の洗礼を受けることになったのです。
佐藤さんと言うテナーサックスのバンドリーダーから譜面を渡され一曲が始まりました。
しかし、何となくリズムが合わなくタイミングが取れないのです。
もたもたとしているうちに一回目のステージが終わり控え室に帰るや否や、「YOUはちょっとリズム感が違うねー!指だけ早く動かしても駄目なんだよ!」と言われ返す言葉も無く譜面をじっと見つめるだけでした。当時のナイトクラブではあらゆる曲を演奏しなければなりませんでした。
ラテン・ジャズ・歌謡曲・ポップスとお客さんのリクエストに瞬時に応えなければなかったのです。
それからと言うもの私は毎日いびられながら必死で曲を覚える努力をしたものです。
そして2ヵ月ほどたちようやく慣れた頃、私は別なバンドから添いがありこのバンドを去ったのです。
                                                 つづく

# by nanbunaoto | 2007-07-04 20:37 | Comments(0)

JAZZと私 第一話

初めてジャズを知ったのは高校一年生の頃でした。
 相倉久人氏のJAZZの本を読んで大変興味を覚え、レコード屋さんでバーニーケッセルのLPレコードを買いそれはそれは溝が擦り切れるほど聴きました。
それからと言うものはベンチャーズは卒業し毎日ジャズギターの練習に明け暮れ、親の反対もなんのその!学校から駆け足で帰り、親が帰宅するまで、思い切りギターを弾きまくり、親が帰ってくると勉強をしているふりをして机の中にレコードプレーヤーを隠し、イヤホーンで密かにジャズを聴きフィーリングを身に付けるトレーニングをしていました。
ところがある時父親に見つかり大切にしていたレコードをすべて割られてしまい、思い切り落ち込み、ジャズ好きの友人の家に家出をしたことがありました。

当時はまともな教則本や資料も無く、ただひたすらレコードを耳で聴きそれを譜面に起こし練習したものです。何度も何度も繰り返しレコードにあわせて弾くのです。
田舎の福井にはJAZZギターを弾く人などはおらず、しかた無く福井放送のFBCポップスオーケストラに入れてもらいフルバンドの一員として勉強させてもらった事もありました。
こうして私ははプロミュージシャンへの思いを募らせて行ったのです。
                                              つづく

# by nanbunaoto | 2007-07-03 13:53 | Comments(0)

ギタートレーニング

私は中学2年の頃にベンチャーズのエレキギターにシビレ初めてギターに触りました。
それ以来現在までずーっと弾き続けています。
時間のあるときはほとんどギターの練習をしております。

私はこれまでギターを通していろんなことを学んできました。
例えば、ひと頃は「自分は演奏が上手いんだ」と勘違いし、自惚れていたことがありました。
でもそれは自分の大きな勘違いであることがわかったのです。
そのきっかけは、ある時自分の演奏をテープレコーダーで録音をしプレイバックをして聴いてみたんです。
そうしたところが、それはそれは思っていたのとはほど遠いようなひどい演奏だったのです。
普段は自分で自分のことは良くわからないのです。第三者的に自分を観察出来る時がなければなかなか気付かないものなのです。
それ以降私は自分の演奏の弱点を直すために集中的にその部分をトレーニングしほぼ克服することが出来ました。
そして定期的に自分の演奏を録音し聴いています。
それでも「まだまだ未熟だなー」といつも思っています。
このことはすべての事に当てはまります。

自分を常に冷静に見つめながら軌道修正して行く習慣を身に付ける事が大事ですね。

# by nanbunaoto | 2007-07-02 10:53 | Comments(0)

ネバーギブアップ

「ネバーギブアップ」この言葉は私の大好きな言葉です。
諦めることがなければ必ず自分の願望は必ず達成される。この事を身をもって初めて体験したのは私が中学生時代の相撲大会での出来事でした。
私の専門の部活はバレーボール部に所属していたのですが、ある日部活の先生から「南部君!今度相撲大会があるから出場してくれないか」と言われ渋々出ることになりました。
特に相撲の技術を教えてもらったわけではないので、ただ負けないように、土俵に手を着かないこと、倒れないこと、相手より先に土俵の外に出ないことだけを考え望みました。
そして、ハッケヨイ!ノコッタが始まりました。私は相手のまわしをしっかり摑みじっと動かず我慢しました。
するとどうでしょう。相手はどうすることも出来ず水入りに突入。水入り後はとうとう対戦相手が疲れ果てて我慢できずに自分で自ら土表に崩れ落ちたではないですか。
この相撲大会で私は「決して最後まで諦めなければ勝てるんだ!」と言うことを身をもって体験しました。
勿論、これは普段の厳しい鍛錬を積み重ねてきたから出来たことは言うまでもありません。

私の今度の「盛春歌」も決して途中で諦めず、常に前向きにプラスのエネルギーを発しながら歌い続ける事によりきっといつかは大ヒットのきっかけが摑めると思っています。
そしてNHK紅白出場も夢ではなくなります。
「念ずれば花開く」を56歳のギターオヤジが今身をもって実現しようとしています。
乞うご期待!

# by nanbunaoto | 2007-06-28 10:12 | Comments(0)