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「母さんの記」誕生エピソード その2

反響があり その2を お届けします。

父は当初福井県庁に勤務していましたが 給料は安く家族を食べさせて行くにはかなり困難だったそうです。
そして途中で民間の建築会社を紹介され転職し軍隊上がりのど根性で頑張り、我々家族を守ってくれました。
休みという休みはほとんど無く働きずくめだったので、休日に父と遊んだり家族旅行をしたことは一度もありませんでした。
母も仕事一筋で早朝から小学校に勤めに出て行きましたので私の幼少期はいつも祖母に遊んでもらっていたのです。
父も母も大変真面目な性格で、私が少しでも間違ったことをしようものならこっぴどく怒られたものです。
例えば、食事の時などはびくびくしながら食べなければなりません。
空腹のあまり調子に乗ってご飯をおかわりしても、それを残したり、またご飯やおかずをこぼそうものなら即座に父のビンタが飛んでくるのです。

私には2歳年上の兄がおり、兄は長男としてとても可愛がられて育ちました。
頭も良く何をやっても立派にこなすのです。
そんな兄といつも比較されて「直ちゃんは駄目やねー!兄ちゃんをもっと見習いなさい!」と叱られるのです。
そんな生活のなかで私は知らず知らずのうちに人見知りをするようになっていったのです。

でも母は大好きでした!

明日に続きます。
乞うご期待!
サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

by nanbunaoto | 2009-04-21 18:00 | Comments(0)

母さんの記」誕生エピソード その一

「母さんの記」の歌はライブでとても好評なオリジナル曲の一つです。
この歌の誕生エピソードを今日から連載いたします。

私は太平洋戦争の終戦後、まだ5年しか経っていない昭和25年9月7日に福井駅から歩いて5分程の手寄町というところで父清二母清子bのあいだに次男として生まれました。
また、当時は祖父の清松おじいちゃんと後妻の花子おばあちゃんがいましたがまもなく祖父は脳溢血によりこの世を去りました。とても頑固ですが優しいおじいちゃんでした。
私の生まれた町は昔「駅裏」といわれたところで、戦争で全てが焼け野原になった為、私の家も周りの家も応急で立てたバラックに近い家が立ち並んでいる貧しそうな下町でした。
父母は何とか早くこの家を建て直したい一心で夫婦共稼ぎし、休みの日も無く汗を流し働いていたのです。
母は小学校しか出てはおりませんでしたが、とても頭が良く向学心に燃えた努力家で独学で資格を取り病院の看護婦から途中で小学校や中学校の養護教諭に転職しました。
ところが母は生まれつき身体が弱く、若い頃に生死をさまよう大病をしており常にどこか具合が悪くしょっちゅう入退院を繰り返しておりました。
その為、家では母と一緒に夜添い寝したり、遊んでもらうことはあまりありませんでした。
私はそんな母が入院している病院に見舞いに(遊びに)行き、ベッドに横たわるは母に甘えていたものです。

この続きはまた明日。
サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

by nanbunaoto | 2009-04-21 12:03 | Comments(0)