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JAZZと私 第二話

そして私は親の猛反対を押し切り、茶木(楽器メーカー)のギターを一本抱え単身で東京に向かったのです。 この頃は五木寛之さんの書いた「青年は荒野をめざす」を読んで主人公のジュン少年になりきっていたのでした。
親も心配し、とりあえず私を尚美音楽学院に入学させることで少しは安心したようですが。
上京後は毎日音楽学校に通いながらあるバイトをしピアノを購入、三畳間の福井荘に無理やり押し込みピアノの下で毎晩寝ていました。
母は心配をし福井から私の様子を見に何度も来てくれましたが・・・、本当に今考えてみるとあの頃は何も恐いものが無かったのですねー! 若さって素晴らしい!
私は無我夢中でJAZZギターを練習しました。一日8時間以上はギターを弾いていました。
そして途中からANジャズスクールに通うようになりポンちゃんこと鈴木氏に本格的なジャズギターを教わるようになったのです。鈴木先生のギターは本当に素晴らしくあの世界的に有名なジムホールも絶賛するほどのギターリストであり私は大きな影響を受けました。
19歳の頃テナーサックスの植松孝夫氏とも共演をしました。
そしてある時横浜のバンドホテルにある「シェルルーム」と言う当時横浜では有名なナイトクラブにトラ(代役)で出演することになったのです。
そしてプロのステージに立ち最初の洗礼を受けることになったのです。
佐藤さんと言うテナーサックスのバンドリーダーから譜面を渡され一曲が始まりました。
しかし、何となくリズムが合わなくタイミングが取れないのです。
もたもたとしているうちに一回目のステージが終わり控え室に帰るや否や、「YOUはちょっとリズム感が違うねー!指だけ早く動かしても駄目なんだよ!」と言われ返す言葉も無く譜面をじっと見つめるだけでした。当時のナイトクラブではあらゆる曲を演奏しなければなりませんでした。
ラテン・ジャズ・歌謡曲・ポップスとお客さんのリクエストに瞬時に応えなければなかったのです。
それからと言うもの私は毎日いびられながら必死で曲を覚える努力をしたものです。
そして2ヵ月ほどたちようやく慣れた頃、私は別なバンドから添いがありこのバンドを去ったのです。
                                                 つづく

by nanbunaoto | 2007-07-04 20:37 | Comments(0)