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「テレビ神奈川」の取材があります。

5月14日(木)の夜9時30分から10時までのTVKテレビ神奈川のニュース番組「ニュース930」のフェースインというコーナーで私が紹介される予定です。
その映像の収録が今日と明日行なわれます。
普段の会社での仕事の様子や音楽活動の様子、また友人やお客様の声などが紹介される予定です。
6分間くらいですのでお見逃し無く。

by nanbunaoto | 2009-04-30 10:24 | Comments(0)

母さんの記」誕生エピソード 最終回

さあ!今日が最終回になります。
(実は今日 一度入力したのですが うっかりして全部消えてしまい努力が水の泡・・・!とてもがっかりしましたが気を取り直してもう一度入力します。)

そんな小学生時代のある時、スキー遊びに夢中になっていた私は、普段は足羽川の河原や堤防で滑って楽しんでいたのですが徐々に上達するに従い この場所に満足出来ずにほんもののスキー場で滑ってみたいと言う欲求に駆られるようになりました。
そして母に「本物のスキー場に連れて行ってほしい」とせがみました。
病弱な母にとってスキー場の険しい山に登ることはとても危険なことで最悪の場合途中で行き倒れになってしまうことも十分考えられるのです。
(その頃から) 一度思い込んだらとことん夢を実現させようと努力する私は、毎日毎日「つれてってよ!つれてってよ!」と母におねだりしたのでした。
そんな私の強い気持ちにとうとう覚悟を決めた母は「わかったわ!スキー場に連れてってあげるね」と言ってくれたのです。
私は天にも昇る気持ちでした。
「やったー!やったー!」と何度も飛び上がり嬉しさのあまり叫びました。
そして出発の日になりました。
ところがその日はあいにく朝から激しい雪と風に見舞われ最悪の天気だったのです。
私はスキー板を肩に担ぎ、母に手を引かれバスに乗り込み勝山のスキー場に向かいました。
その日は特に雪が激しく降っておりスキー場に着いた私達はすっかり臆病になっていました。
「どうする?滑る・・・?」と母が私に問いかけます。
私はスキー場の急勾配な坂を見上げたとたん、今までの自信がすっかり消えてしまったのです。
それにこの激しい雪と風では・・・。
しかし せっかくここまで連れてきてくれた母の気持ちを思うと 私はいまさら引き返すとは言えませんでした。
「うん!滑るよ。」と言い私は母としっかり手をつなぎ急な坂道を一歩一歩ゆっくりと登って行ったのです。
肺の大病を患ったことのある母は、苦しさのあまり途中で何度もうずくまりました。
私はそんな母の苦しそうな姿を見て「もうやめて帰ろうよ」と幾度も母に声を掛けましたが母は「大丈夫!大丈夫だよ」と言ってまた立ち上がるのです。
私は母の手を引きゆっくりとゆっくりと休みながら降りしきる深い雪の中をスタート地点の頂上へと向かいました。
大きな母の愛に涙が止まりませんでした。

私はこの時のことを鮮明に覚えています。
今でも 思い出すたびに胸が熱くなり込み上げてきます。

そんな優しい母は六年前に突然この世を去ってしまいました。

「母さんの記」を歌うたびにあの時の母の優しさを思い出します。
これからも「母さんありがとう!」の気持ちを込めて、心の歌を作り歌って行きたいと思います。

「母さんの記 誕生エピソード」の連載をお読みいただき誠に有難うございました。
心から感謝申し上げます。



今日もカラオケ店「弁慶」でキャンペーンライブを行ないます。
皆さんに夢と感動をお届けしたいと思います。
それが私の役目です。
明るく元気に いってきまーす!

by nanbunaoto | 2009-04-28 15:30 | Comments(0)

母さんの記」誕生エピソード 第5話

母の私に対する愛情はとても大きなものでした。
そしてどんな時も私の味方になってくれたのです。
私が食事の時誤ってご飯をこぼしてしまった時も、父に見つかると私が父のビンタにあうことを知っていたので、母は私の身代わりになり、わざと自分のせいにしこぼしたご飯粒をひと粒ひと粒拾い集めてくれたのです。

そんな母の作ってくれた黄色いマフラーは私にとって一番大切な宝物でした。
これは兄のお下がりのセーターを母が一晩かかってほどき私に編んでくれた物なのです。
いつも母のぬくもりが感じられるマフラーでした。

この続きはまた明日。
次回が最終回の予定です。

by nanbunaoto | 2009-04-27 15:26 | Comments(0)

今日もキャンペーンやります!

今日は久々のいい天気です。
でも風が強いです。

今日は美容院に行って奇麗になってきます。
そして夜八時からキャンペーンです。
昨日の深夜、急に電話があり「明日、人が集まるのでお願いしたい」とのことで、OKしました。
皆さんに「九頭竜の流れを」覚えてもらいます。
元気に今日も行って気まーす!

(昨日御茶ノ水で買ったギブソンES335を調整し完璧になり嬉しくて仕方がありません!。)

by nanbunaoto | 2009-04-26 11:21 | Comments(0)

今日は「オクリーズ」に出演します。

急に寒くなりましたねー!
毛布を片付けてしまったので寒くて寒くて・・・一人寝はさむーい!
今日は新宿のジャズクラブ「オクリーズ」でジャズライブを行います。
ピアノとのディユオですが、演奏はとても楽しいのです。
新宿は遠いので帰りは深夜0時をまわります。
でも明日は日曜日なので寝坊が出来るので安心ですね。

昨日は横浜反町のカラオケスナック「カサブランカ」でキャンペーンライブを行いました。
約一時間行いましたが、お店のマスターやママが(もちろんお客様も)とてもいい人なので気持ちよく楽しく歌えました。
このようなキャンペーンライブはタウンページからアポを取り出向いて打ち合わせをし空いている日にちにどんどんスケジュールを入れていっています。
一人でも多くの人に私の歌を聴いていただき知ってもらいたいのです。
そしてライブの最後に「九頭竜の流れ」を直接歌唱指導し一緒に歌い覚えてもらいます。
このような地道な活動がきっと将来実を結ぶことと信じています。

皆様にお店のご紹介をいただければ何処へでも伺いますのでこれからもどうか宜しくお願いいたします。

「母さんの記」エピソードは月曜日からまた連載させていただきます。

by nanbunaoto | 2009-04-25 11:36 | Comments(0)

福井から帰って来ました

昨日の朝新幹線で福井に向かい午後1時半頃に福井放送に入りました。
そして「南部直登の九頭竜散歩道」の番組収録を行いました。
4週分録るのですが今回は5月と6月の分です。(隔週の土曜日17時からの放送にないます)
今回は九頭竜川のサクラマスを長年研究し保護活動を行なっている天谷さんをお迎えしお話しを伺いました。
サクラマスは清流にしか住まない魚でフライフィッシングやルアーによる釣りだけが許されています。
日本で初めてサクラマス釣りが始まったのは1980年の終わり頃で九頭竜川は全国で最も有名なサクラマスの泳ぐ川だそうです。
全国各地からフィッシャーマン達が九頭竜川に集まり30回通っても一匹しか釣れないこのサクラマスに夢と情熱を燃やしているそうです。
そして今まで40万匹の稚魚を放流し続けてきたそうです。

さて、「母さんの記」エピソードその4をこれからお話しします。

母からバイオリンを買い与えてもらった私は、とても厳しいN響出身の先生につきバイオリンを習い始めました。
 また私は 母が唄ってくれる歌が大好きでした。
そして私の我がままなおねだりもいつも真剣に聞いてくれたのです。
そんなある日 私は大好きなおもちゃを家の近所のおもちゃ屋さんで見つけ、母を無理やり連れて行きました。
そして このおもちゃをどうしても買って欲しいとせがんだのです。
そうすると母は買い物籠から薄い財布をそっと取り出し恐る恐る中を覗いたあと、目を閉じた母は何も言わず私の手を握り静かに首を横に振ったのです。
そんな母の姿を見て私は心の中で「ごめんねお母ちゃん・・」とつぶやき、作り笑顔で一人走って家に帰りました。
遅れて家に戻って来た母は「さっきはごめんね。もうちょっと待っていなさいね。我慢の出来る子が本当に偉いんだよ。」と私を慰めてくれました。
その日の夕飯の食卓には何故か母は自分の分は置いてなく「今日は身体の具合が悪いから・・」と言って食べなかったのでした。
そしてしばらくは母のおかずだけが何故か少なかったのです。
(本当は 母はわたしが欲しがっていたおもちゃを買うために僅かな食費さえも節約してくれていたのです)
その後しばらくして、雪の降りしきるクリスマスの朝 目が覚めると枕元にそのおもちゃが置かれていたのです。
私は布団にもぐり思い切り泣きました。

良い週末をお送り下さいね。
サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

by nanbunaoto | 2009-04-24 15:46 | Comments(0)

母さんの記」誕生エピソード その3

私は母が大好きでした。
そんな母のことをお話しましょう。

母は5人兄弟の次女として福井県大野市の木村商店という商家に生まれましたが、当時は貧乏で小学校を卒業すると直ぐに家業の手伝いに入りました。でも母は努力家で勉強が好きだったので、看護学校に通い看護師の資格を取りまもなく病院に勤務しました。
その後 縁あって父とお見合いし結婚したのです。
ところが幼い頃より病弱だった母は大病を患い生死をさ迷ったあげくやっとのことで一命をとり止めたのです。
子供の頃に充分な栄養を摂れなかったので虚弱な身体に育ってしまったようです・・・。
身長もとても低く痩せっぽちで簡単に抱っこ出来るほどのサイズなのです。
(でも私が子供の頃はそんな母が大きく見えました。)
そんなことで、母は無理なことは決して出来ず、父の前ではいつも口答えもせず何も言えずに服従していました。
家事は姑の花子おばあちゃんの仕事で母はあまり手出しすることが出来ずにいたので、いつも後ろめたい気持ちで朝小学校の勤務に向かい、また夕方帰ってきて私達子供の勉強の面倒を見てくれていたのです。
また、母は音楽が大好きでした。
本当は自分がピアノやバイオリンと言った楽器を習いたかったのでしょう。
でも当時の母の家庭環境ではそのような習い事は夢のまた夢でしたから、せいぜい好きな歌を一人ぼっちで歌っていただけだたようです。
そんな母が小学校に入学して間もない頃、私に一本の小さなバイオリンを買い与えてくれたのです。
何故 兄では無く私だったかと言うと、私がまだ小学校に入学する前に、家に置いてあったおもちゃの小さなピアノを一人で 誰から教わるものでもなく器用にメロディーを弾いて遊んでいたからなのです。
「この子はきっと音楽の才能がある!」と母は思い込み私に自分が果たせなかった夢を託したのです。
父は音楽にはまったく興味は無く「直登にそんなもんを習わしてはろくなもんにならん!」と言い大反対をしたそうです。
しかし、普段は物静かで従順な母はこの時ばかりは父に怒られながらも必死に抵抗し、とうとう父を説得し私にバイオリンを買い与えたのです。

今日はここまでです。
仕事しなきゃ!!

明日は朝から福井放送に行き「南部直登の九頭竜散歩道」の番組収録がありますのでブログはお休みです。
そして明日の夜は福井のお店でキャンペーンライブを行ないます。
頑張って行ってきまーす!

by nanbunaoto | 2009-04-22 12:31 | Comments(0)

「母さんの記」誕生エピソード その2

反響があり その2を お届けします。

父は当初福井県庁に勤務していましたが 給料は安く家族を食べさせて行くにはかなり困難だったそうです。
そして途中で民間の建築会社を紹介され転職し軍隊上がりのど根性で頑張り、我々家族を守ってくれました。
休みという休みはほとんど無く働きずくめだったので、休日に父と遊んだり家族旅行をしたことは一度もありませんでした。
母も仕事一筋で早朝から小学校に勤めに出て行きましたので私の幼少期はいつも祖母に遊んでもらっていたのです。
父も母も大変真面目な性格で、私が少しでも間違ったことをしようものならこっぴどく怒られたものです。
例えば、食事の時などはびくびくしながら食べなければなりません。
空腹のあまり調子に乗ってご飯をおかわりしても、それを残したり、またご飯やおかずをこぼそうものなら即座に父のビンタが飛んでくるのです。

私には2歳年上の兄がおり、兄は長男としてとても可愛がられて育ちました。
頭も良く何をやっても立派にこなすのです。
そんな兄といつも比較されて「直ちゃんは駄目やねー!兄ちゃんをもっと見習いなさい!」と叱られるのです。
そんな生活のなかで私は知らず知らずのうちに人見知りをするようになっていったのです。

でも母は大好きでした!

明日に続きます。
乞うご期待!
サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

by nanbunaoto | 2009-04-21 18:00 | Comments(0)

母さんの記」誕生エピソード その一

「母さんの記」の歌はライブでとても好評なオリジナル曲の一つです。
この歌の誕生エピソードを今日から連載いたします。

私は太平洋戦争の終戦後、まだ5年しか経っていない昭和25年9月7日に福井駅から歩いて5分程の手寄町というところで父清二母清子bのあいだに次男として生まれました。
また、当時は祖父の清松おじいちゃんと後妻の花子おばあちゃんがいましたがまもなく祖父は脳溢血によりこの世を去りました。とても頑固ですが優しいおじいちゃんでした。
私の生まれた町は昔「駅裏」といわれたところで、戦争で全てが焼け野原になった為、私の家も周りの家も応急で立てたバラックに近い家が立ち並んでいる貧しそうな下町でした。
父母は何とか早くこの家を建て直したい一心で夫婦共稼ぎし、休みの日も無く汗を流し働いていたのです。
母は小学校しか出てはおりませんでしたが、とても頭が良く向学心に燃えた努力家で独学で資格を取り病院の看護婦から途中で小学校や中学校の養護教諭に転職しました。
ところが母は生まれつき身体が弱く、若い頃に生死をさまよう大病をしており常にどこか具合が悪くしょっちゅう入退院を繰り返しておりました。
その為、家では母と一緒に夜添い寝したり、遊んでもらうことはあまりありませんでした。
私はそんな母が入院している病院に見舞いに(遊びに)行き、ベッドに横たわるは母に甘えていたものです。

この続きはまた明日。
サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

by nanbunaoto | 2009-04-21 12:03 | Comments(0)

NHKラジオ「日曜バラエティ」生出演

昨日はNHKラジオ第一の人気番組「日曜バラエティ」に生出演しました。
司会は山田邦子さんと古家アナウンサー。
出演歌手は先日私のコンサートを盛り上げてくれた湯原昌幸さん、そして以前ラジオ番組でお世話になった「バスストップ」の平浩二さん。野中彩央里さん。大木綾子さん。
またお笑いでは 以前司会でお世話になった堺すすむさん。 東玉助さん 。コロコロトリオのお三方でした。
13時5分からの本番生放送ですが、私がNHKの西玄関に入ったのは9時。
(車で移動するので万一のことも考えいつも時間に余裕を持って出てくるのです)
そして9時半にマネージャーさん達と合流し局内に入りました。
NHKの局内は2-3回来たくらいでは迷子になってしまうくらい広く複雑なのです。
先ず楽屋に入ります。(とても狭い楽屋なので長く居たいとは思いません)
そして本番の行なわれるスタジオパークに入り、番組関係者の方々や出演の皆さんにご挨拶しリハーサルに入りました。
ひと通り全部通してリハを行ないます。
私の出番は全部で4回。 途中でコントも行ないましたが、今回でこの番組は2回目の出演なので、要領は理解しており落ち着いて出来ました。
リハーサルも終わり食堂に食事をしに入ります。
食堂のメニューは豊富で美味しくしかも安いのです。
そしてステージ衣装に着替え本番に臨みました。
ラジオ番組といえどもこの「日曜バラエティ」はお客様を前にしての公開生放送ですのでしっかりメイクもしてステージに立つのです。
そして本番が始まりました。
ここからは一気に番組終了まで進んでいきます。
いつも流石だなと思うのは終わりの時間がピッタリと一秒も狂わないことです。
私は「九頭竜の流れ」を一曲目に歌いました。
歌の前にインタビューがあり私の略歴を紹介されこの歌について話をします。
時間の関係もあり、なるべく簡単に話さなければならないので、話し足りない部分も沢山あるのですが仕方ありません。
イントロが流れギターをかき鳴らし歌へと入っていきました。
全国へ私の歌声が流れることを考えるとこの一瞬にかける集中力はもの凄いものがあります。
歌っているときに何を考えたかと言うと、モニタースピーカーから流れるカラオケを聴きながら自分の歌を確認し音程や声の出し方、そして10の力で歌うのではなく8分の力で歌い声の安定を図ります。
そして歌詞を間違えないように心を平常心に保ち、歌詞の内容をかみ締めながらリスナーの人にわかり易いように言葉のリズムをあまり崩さず歌おうと心がけました。
無事歌い終えホッとしました。
このチャンスを与えてくれたワクイ音楽事務所さんやテイチクレコードさん、そして応援をしていただいているファンの方々の為にもしっかりと責任を果たす義務があります。
番組は進んで行きコントもまあまあ上手く行きました。
(以前「盛春館ラプソディ」で役を行なった経験も生きており演技のリズムもつかんだような感じです。)
そして2曲目の「盛春ヨコハマ」を歌いました。

全部が無事終了したのは4時でした。
疲れがドーッと出てきたのは帰りの車の中です。
途中で眠くなり10分間仮眠を取り横浜へ戻りました。
そして、カラオケ店のキャンペーンのアポとリに2軒訪問し家に帰りました。

ソファーでギターを抱えながらビールを飲みましたが、昨日は途中で早々と眠くなりソファーでしばらく眠ってしまいました。

by nanbunaoto | 2009-04-20 10:54 | Comments(0)